水のように、金属のように。

水のように、金属のように。

メントスニキ

液体はするりと指を通る。そして指を濡らして肌を潤し、何事もなかったかのように乾いて無くなっていく。その肌に感じた何かを残すことなく、痕跡全てを消して。

固体は掌に色濃く残る。当たり前だ、物質そのものが固く握りしめられるものだから。必死に離さないように握って、肌にその感触を残す。その硬さが永遠となるくらいには。


田代夏樹の術式発現は、齢4歳と早い年齢で起こった。それはコップに入った水を落としかけたことによって、咄嗟に出たものだった。加茂の分家と言うこともあり液体関連の術式。しかも血のみを媒体に使うものではない術式。父はそれなりに、母もまぁまぁ。妹のみはあまり喜んではいなかったが、友人の茅瀬は喜んでくれた。


そして8歳の頃。妹が病死により先立ち、両親が事故死して、夏樹は死の色をその目に焼き付けた。術師家系は常に死が近い。病死に殉職、事故なんて最早日常茶飯事。その時に見た“深淵”が、今でも脳裏に残っている。

葬式の際に見たどす黒くて暗い、闇のような沼のような。足を入れたら二度と戻れないようなものが辺りを埋め尽くしている。

それを見ても、夏樹は泣かなかった。泣けない?泣かない?いや違う。


適応した。

その色に適応して、深淵を覗いても何も思わず、普通の人間のように遮断して『見』ることを可能にしていたからだ。


水のようにしなやかに。金属のように頑丈に。その意思と生き様を変えて生きることを可能にした。



だから、田代夏樹の人生は何も変わらない。

本当に何事も起こらない、ただの平凡で普通の人生を歩んでいるのだ。

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